2016年1月29日金曜日

お子さんをを天才にするなら、足首と正座が大事。

急な告知となりますが

2016年1月31日に(日) 14時半~17時半

逗子 逗子アリーナにて下記のWSを行います。

   良久結実子のいつでもどこでも自分で身体改善










http://www.reservestock.jp/page/event_series/16442http://www.reservestock.jp/page/event_series/16442



お時間のある方はぜひおこしくださいね。




という事で、今日は少し辛口ブログをお書きします。


まずはじめに

たくさんのお客様と接していて

よく思う事

”どうして人は、ほかに理由を持っていくんだろう”

という事です。


どこか身体がおかしい、という人が居ます。

病院に行く人

食べ物に気を付ける人

水にこだわる人

カラダにいいものを身に着ける人

心の問題、といっても

インナーチャイルド=育ってきた環境

過去性=過去の何か

トラウマ=過去の体験などなど

いろいろ いろいろ だけど

けして、

自分自身の何か、に原因がある、

とする人は

そうそういません。


でも、私は元来

めんどくさがり屋と

貧乏性なのもあって、

なんか、そのどれも違うんじゃない?って

思うのです。


どうして違うんじゃない?って思うのは

そうして

こだわっている人で

本当に素敵な人を

あまりみたことがない、

というのもありますが、


もうひとつ

絶対的にそう思ってしまうのは

私の人生で

なんて素敵なんだろう、と思った人が

そういうことに

全く無頓着な人、というより、

もちろん、これがおいしいとか

こういうのが好き、というのが

あるのだけれど

その時々で、あるがまま

なんでもいいようなところもあって


そのかわり

絶対的に大事にしていること

自分の好きな事、

自分が追及しているものに関しては

その作品に対して

また、その精神について

ものすごくシビアだ


という出会いがあったからです


”好きな事をするのが一番いいんだ”

若くして

そう思ってしまった私は

今、また新たにそう思います。


だって、全部絶対じゃない。


どんなに食べ物にこだわっても

病いになる人が居る。


でも、好きな事、というか

自分の人生に生きる意味を

見出してる人は

病気でも元気。


だったら、こっちのほうが

絶対だと、そう思うのです。


でも、お客様をみていて

あ~、まだそっちにもっていくんだ、

みたいなことはたびたびあり、

人って、絶対、みとめたくないんだな、

なんて思ってしまいます。


ま、自分もそういうところがありますが・・・


で、この頃感じている

子どもたちにつてのお話をします。


私はご縁があって、

自分の子育てにあくせくしながらも

多くの?なのかな

子どもたちとかかわる機会を

持たせていただいています。


そのおかげで、また

たくさんのお母さんたちと

お話しする機会をもっています。


でね、今、子どもたちの身体はやばいなあ、

と思うのです。


多くの子どもたちは

たくさんの習い事をしています。


そろばん、バレエ お絵かき

ピアノ 塾 ダンス  もろもろもろもろ


でもね、足首が硬いのです。


足首はね、

あたりまえだけど

足と脚をつないでる唯一の場所です。

⋆足と脚を分けますね 脚は脚全体

 足は足首より下、足の指や、かかと、足の裏をさします


ということは足より上の部分のすべてを

あの細いところに

すべて集め、足へとおくりこんでいます。


そこに集まっているのは、

足首より上の状態、全部です。

目の悪い人

耳の悪い人

鼻が悪い人

腰が悪い人

もろもろもろもろ

足首と足が整えば

ぜんぶよくなります。


頭で考え、動いた筋肉の状態

心を使って、動いた筋肉の状態

ぜ~んぶ

足首を通って

足にやってくるの。


それくらい足首が大事なの。


そしてね

これは少しわかりにくいかもしれんばいんだけど

身体の各部分はね

目にしろ、耳にしろ、頭蓋骨にしろ

おっぱいにしろ


なんでそこに存在しているかというとね、


例えばなしでね。

そのすべては、

重力がなかったら、

上へ上へとか、

感じたほうへ、とかね、

要は心のままに

どっかに飛んでいきそうな性質をもっているの。


だって、ココロってそういうものでしょ。


いいな、って思ったら、

そこにいっちゃうでしょ。


”心奪われた”みたいに

奪われちゃうの。


それは、身体の各部分も同じなのです。

各部分に、心があってね。

それが、何かに奪われちゃうみたいな感じです。


それを奪われないよう、

ひきとめているのが

物理的に、重力なのです。


だって、重力がないと

私達はこの星にいいれないものね。


で、その重力にむかって

しっかり錨をおろすように

足首を通って

足まで流れ

その足が

一歩一歩歩く時

それは、ほんとに”歩くの”歩くだし

”自分の人生を歩く”の歩くでもあるのだけど

地球のおへそまで流れるような

エネルギーって言うのか

気って言うのか

そういう流れが

身体にある事は、

ものすごく ものすごく大事なのです。



だってね、この小さな足がね、

人間の身体で唯一

この大地、この星と繋がる場所だから。


そして、上記に挙げた習い事も

学校でのお勉強も

また、日々体験するいろんなことも

私達人間は

自分で抱えているのではなく

どこかに還していかなければいけないの


だって、自分で抱えていたら

重くなるばっかりじゃない(笑)

それに

人間は呼吸しているから。

それが生きるってことだから・・・


それをどこに還すのが一番いいのか

ちょっと考えてみてください。


一生懸命お勉強して

学校の先生に還すなら、

そのお子さんは

どんな考えを持つでしょう?


お母さんに返すなら?


じゃ、自分だけに返すなら?


どんな感情がわくでしょう。


なんだか、

お空、とか、大地、とか

声が聞こえてきそう。


それは多分きっとそうなんですよね。


でもね、お空だけじゃだめなの

これがとっても大切なのだけど

お空はさわれないでしょ。

でね、

大地といってもね、

大地=この星であり

この星は、この宇宙に浮いているから

大地に返すことは=お空にかえすことに

なると思うのです。


あと、ね

お母さんのおへそと切り離され

生きなくちゃいけない人間は

根源的に

とっても不安だと思うのです。


不安な上に

さわることのない

お空にばっかりかえしてたら

どんな気持ちになるのかしら


じゃ、大地にかえすとすると・・・


地球は丸いでしょ

その丸い大地のどの場所からかえしても

ある一点にいきつく


それってすごいですよね。


お空だってそうじゃない?


あ、そうか...そうですよね。


でもお空のそれをイメージするには

ものすごく創造力と思考の力が必要。


大地のそれだって

ある一点に・・・て想像するのには

思考の力が必要だけど


でも自分にとっても

子どもたちにとっても

創造しやすいですよね。


あそこと、こことに立って

お母さんと、君は、

この大地でつながってるね、って


そして、地球には重力が働き、

その絶対的力のもと

私達がここにいるのだから、


大地に返すことが

どれほど安心感とつながるか

なんとなく想像して頂きたいな

って思います。


で、子どもたちの足首が硬くなってるってことは

そこが使われていない、

または、

そこに呼吸が届いてない

または、

そこの場所をあまり感じていない

または、

大雑把に感じてる

ってことになってね。


子どもたちは

自分が日々学んだこと、体験したことを

どこにもかえせないまま

次々と与えられ

まるで宙をさまようように

あれもいいね

これもいいね、って

行き場をなくした風船のように

ふわふわ ふわふわ

しているような・・・・


いえいえ、

子どもたちはすごくって

お話すると

ほんとにちゃんといろんなことを

わかっています。


子どもたちには

そういう感覚、正しさに対する感覚が

あるんですね。


けれど、

大地にも何も返せない身体の状態で

年齢を重ねるにつれ

どんなことがおこるのか


おまけに

人間というのは動くようにできている。


その動きはね、

ほんとにおもしろいんだけど

身体のどの部分をとっても

360度

どの角度に向かっても

動けるようにできてるの。


なのに、

足首が硬かったらどうなってしまう?


おまけに足首は

その上の全部を支えている・・・



もしも、足首が

サリーちゃんの足首のようで

ぐるっと回転して

向こうのものを見ようと思ったら?


とっても大まわりで

いちいちめんどくさい、っていうか

疲れるでしょ・


そうすると、

当たり前だけど

人は”後ろのものとって”って言われると

めんどくさいな、って思うし

疲れるな、って思う。


だから、

なるべくめんどくさい事はしないようになる



すると、

目の範囲は限定され

視力が悪くなる。


例えば・・・ね。のお話


または、

すごくがんばりやさんで

めんどくさくてもやる。


すると、その子の人生観は

生きるって”めんどくさいことをやることなんだ”

ってなる。


その、どちらでも

その後の一つ一つに始まる人生が

どんなものか・・・


なんとなく自分にも

思い当たるところありませんか?


だからね、

足首が硬くなっている、

というのは致命的なのです。


でね、

正座のすごいところはね

自分の体重を利用して

足首を柔らかくできる、っていうか

ちゃんと正座すると

そうなっちゃうのです。


逆に言うと

正座がつらい、とか、しびれた、とかいうのはね

どこかに身体の歪みがあったり、

どこかが閉じてたり、開き過ぎてたり。でね。


それをね、

気持ちよく正座できるように

いろいろさがしていくと

必ず、ある一点があるの。


それは、

ほんとにある一点なのね、


なぜって。

地球には重力が働いているから

自分のいる場所から

その一点に対し、

カラダが何の負担もなく

存在できる場所は

一点しかないの。


それは1ミリづれても、違ちゃうのです。


らくな正座というのは

この地球上の

その1点に存在しようとしてるようなもの。


これは走っているのだけど
座って居る時も こんな風に1点がある







ちなみに、動物はさらにに美しい・・・
















その感覚というのは

数学の要素も

物理の要素も

測量や建築

美的感覚

あらゆる要素を

はらんでいると思いませんか?


そして、

足首がいい位置にはいるためには

前からやってくるもの=外からやってくるものを

一回、自分のうちに収めないと

足首になfらないの


赤ちゃんには

アキレス腱もかかともない。

成長して歩きだすにつれ

アキレス腱やかかとができるの

でも

ちゃんとアキレス腱やかかとを

育もうと思うと

前からやってくるものを

自分のうちにおさめる呼吸をしないと、

できないんだ。


そして、

あくまでも、こどもたちのカラダは

私達大人の写し鏡なのです。


なぜって、

子どもは模倣する存在だから。


子どもたちは

なんの判断も加えず

大好きなお母さん、お父さんの

カラダとカラダ使いを

自分のうちに取入れ

取り入れたことによって

その考え方

その思考までも

取り込んだことさえ気づかず

取り込んでいきます。


だから、

今の子どもたちの足首が硬いのは

今の大人社会が

足首を硬くする社会だからです。


それは、

100年前のことではないでしょう。


そして、日本にはあたりまえのように

その生活があったのに・・・です。


そう、何々体操、とか、ね

なになにしなくっちゃ、

じゃなくて

生活の中に、

足首を柔らかくする要素が

たくさんたくさんあって、

正座は、もう究極だったのです。

三度三度だからね。


余談ですが

自分の骨の歪みを整え、

身体の中に

”まっすぐな息の通り道”をつくろうとして

形として正座になっちゃった

ワタシのワークは

そこを気づいてから

このところすごい変化が起こっていて

なんと。。。(すみません)

まっすぐな”うんこ”が

でるようになりました。



まっすぐ~です(笑)


それはお腹の中が

まっすぐなったから・・・・なんですよね。


もちろん、便秘なんてありえません(笑)



そんなこんなの想いを込めて

もう間際ではありますが

お子さんの足首を心配する前に

まずは、ご自身の足首を感じ、

そこにある意味、変化をかんじていきませんか?















PHYSICALはMENTALを作りMENTALがPHYSICALを作る ”PHYSICAL METHOD FOR BEING" お問い合わせ yumiko@physicalmethod.com

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